【太平洋戦争・グアムの戦い】日本軍玉砕の地を訪問した

今日もスーツさん直筆だよ!

こんにちは!
今日もスーツさん直筆です(‘ω’)
前回はユナイテッド航空エコノミークラスについてのレビューでしたね。見てくださった方はありがとうございました!

今回は、太平洋戦争のグアムの戦いで日本軍が集団自決された地の訪問記となっております。

戦争について語るので、重い話もあるかと思いますが、とても勉強になる内容です。
歴史に詳しいスーツさんならではの観点で説明してるので、ぜひご覧ください!

1944年グアムの戦い 日本軍玉砕の地・訪問記

1944年グアムの戦い 日本軍玉砕の地を見てきた。

グアム島はもともとスペイン領であったが、米西戦争でアメリカ領となり、以後その統治が継続している。ただし1941年、真珠湾攻撃の2日後から3年の間は日本軍による占領統治下にあり「大宮島」の名が与えられていた。サイパン島と並ぶ、いわゆる絶対国防圏のきわとして飛行場の建設などが急がれたが、1944年に米軍に奪還された。これ以降、日本本土への空襲が激化したことを考えると、まさに国防上守り抜かねばならない最重要拠点であったことは間違いない。リゾート観光地として多く日本人が訪れたグアムには、米軍との防衛戦の跡が残されている。今回のグアム訪問の目的の1つはこれを見学することである。何も考えず海辺でジュースでも飲んでひっくり返っているというのはあまりに忍びない。

宿泊したホテルは「グアムプラザ」であった。(ホテルについての話はまた後ほど行うとする)
ホテルの前にタクシーの運転手おじさんがいるので、”South Pacific War Memorial Park”と言ったが通じなかった。
目的地の名前はこれで正しいようだが、
「ばとるふぃーるど びとうぃ~ん ユーエスエー ジャパン」
とかいろいろ言ったら、ああ?あそこじゃねえかな??みたいなことを言い出したので、信じて連れて行ってもらうことにした。
グアムの中心部は驚くほど狭く、観光客が訪れるエリアは全体のうちほんの僅かにすぎない。運転手とのやり取りから察するに、ここを訪れようという日本人もほとんどいないようである。実際他には誰もいなかったし、タクシーが通るなんてこともまず間違いなく無い。タクシーの運転手は私たちが戻るまで待つと言ってくれた。丁度南国特有か?雨が降り始めたが、傘まで貸してくれた。タクシー運賃は日本より高く、往復120ドルぐらいしたと思うが、停車中はメーターを動かさないでいてくれたので、助かった。

悲惨なグアム島での戦闘とは

ここでもう少しグアム島をめぐる日米の攻防戦について解説したい。

1944年、戦況の悪化とともに米軍はマリアナ諸島を着実に攻略していた。米軍の来襲も秒読みとなったグアムには先に陥落したサイパンからの情報が届いていた。日本軍は米軍を水際で食い止めることを前提に、相当の対策で敵の来襲に備えたという。しかし米軍もサイパンでの日本軍の頑強な抵抗を受け、前回を遥かに凌ぐ膨大な攻撃力で来寇し、、結局米軍の力が上回っていたから、水際の日本軍は壊滅してしまったそうだ。島内に進撃する米軍を食い止めるため、戦車に体当たり攻撃を仕掛けたり、よじ登ってハッチに爆弾を投げ込んだりした日本兵もいたという。

抵抗むなしく米軍は島内に入り込み、有効打もないということで、日本軍は大本営に別れの打電後、最後の総攻撃を開始するに至った。この一連の戦いでほとんどの日本兵が戦死し、残存兵力は3,000名ほどとなった。この3,000名もまた、僅かな武器で善戦したが、じりじりと数が減り、ついに百名単位となった。この人数でまた、最後の総攻撃を実施。「日本軍らしい最後」を飾った。

2019年になり、その地に訪れてみた

今回訪れたのは、その最期となった地である。現在は日本法人の手によって公園に整備されている。

合掌を象ったモニュメントがあって、お寺もたてられている。お供え物もあった。

ありがたいことに、グアム政府指定の名所にしてもらったそうで、維持管理や清掃にも協力してくれているそうである。一昔前、戦車で乗り込んだり、空港を造れと言われたり、グアムの人たちの感情は穏やかではなかったと聞くが、今日のタクシー運転手もホテルの係員も、みな私たちに親切にしてくれている。以下の文はグアム島の観光公式HPからの抜粋である。
アメリカ軍がマリアナ諸島に向かって反撃を強めるに従い、チャモロ人に対する日本人の態度は日毎に厳しくなっていきました。島民たちは強制労働をさせられ、島の東部にあるキャンプに集められます。
この意図はわかっていませんが、結果として、この移動が大多数のチャモロ人の命をアメリカ軍の艦砲射撃から救うことになりました。1944年、アメリカ軍がグアム島に上陸。
数千人ものチャモロ人、米兵、日本兵の命を奪った3週間に及ぶ激戦の末、グアム島は平静を取り戻し、再びアメリカの統治下に入りました。1950年にアメリカの自治属領(準州)となり、今日までアメリカ軍の太平洋戦略上の基地として活用されています。

ここにあるのはお寺と慰霊碑だけではなくて、階段を下りた崖の下に、当時最後まで戦った日本軍が拠点にしていたと思われる防空壕や貯水槽がある。

トカゲの類がこれでもかというぐらいたむろしていて、近づくと道を空けてくれる。防空壕と聞いていたから、ちゃんとした穴になっているものと思ったら、岩盤に人1人がやっと通れるぐらいの割れ目が開いているだけだった。崖の上のお寺に防空壕の中で見つかった遺品の数々が展示されていたので、つまり割れ目の中には入れるのだろうが、とても入ってみようと思えるものではなかった。あまりに不気味である。こんなところに潜んで、確実に迫りくる死期を感じながら、次なる攻撃の策をいかにして練ったのか、不思議でならない。
少し外れたところに貯水槽があった。コンクリート製で、米軍との戦いのさなかに築いたとは思いにくいものだが、前から作っていたのだろうか。この地は水はよく出るらしく、今も真水が流れている。

地上に上がって左に進むと、小さな寺があった。
その寺の中には、日本の小中学校から送られてきたと見られる鶴が吊るされていた。
(駄洒落ではありません)

この地を訪れての最大の感想は、戦争が悲惨だというありがちなものではなかった。戦争をやるのは大変なのだ。昔の人が信じられないぐらいの苦労をして、気候も違う(1月22日は30℃ほどだった)南の島で死んでいったということをよく知ることができたと思った。

30分ほどの滞在でこの地を後にした。タクシーの運転手は、明日の昼に私たちを空港まで送って行ってくれるという。サービスの良いおじさんだった。その空港を造った日本兵たちもまた、グアムの戦いで散っていったろう。
なお、グアム島には各所に戦争の遺構があり、今回訪れた場所の他にも防空壕があって、中には冷戦時代に核兵器保管庫として使われたものもあるという。また、太平洋戦争の博物館もあるらしい。知っていれば行ったのに悔やまれる。次回の訪問を楽しみにしている。

終わりに

最後まで見てくださった方、ありがとうございました!
編集していると、
知らない南の地で、蒸し暑い中戦って最後は亡くなっていくという
悲惨さが伝わってきてつらい気持ちになりました。
私も昔、世界史の勉強をしていた時に、戦いが本当に多いなと思い(とくに宗教絡みね・・)
平和な時代に生まれたことを感謝したと同時に、
人間は歴史を学ぶことで過去の過ちを繰り返さないようにしなくてはいけないなと思いました。

皆さんはこれを見てどういう感想を持ちましたでしょうか?
次回もぜひ見てくださいね!

14 件のコメント

  • グアムの旅行記中々難しいところからですね。でもスーツさんらしいです。私たちも、どんな事があったのか知るべきで、ずっと考えていかないと思いました。そしてこの旅行記を読んで、思い浮かんだのが浅田次郎さんの、短編集月島慕情の中の「雪鰻」でした。違うところからの引用で感想になってなくてすいません。

  • 休暇でグァムと聞いていたから、ビーチでのんびりしたのかな?って思ってたら、とても参考になる取材で有難いです。しかも体調が悪かったのですよね?
     これからも体調管理にだけは気を付けて、楽しい動画や記事をよろしくお願いします。

  • 休暇でグァムと聞いていたので、ビーチでのんびりしてたのかな?と思っていましたが、たいへん参考になる取材で有難いです。しかも、体調が悪かったのですよね?
     これからも体調管理にだけは気を付けて、動画やブログ頑張って下さい。

  • グアムには行った事がないのですが、
    このような場所があるということ
    スーツさんが教えてくださらないと
    知らないままでした。
    記念公園を維持・清掃してくださる方々に深く感謝します
    チャモロ人、日本人、アメリカ人、
    皆同じ人間ですよね。
    スーツさん、これからも色んな事を教えてください
    リンゴちゃんの締めは流石ですね。

  • スーツ君のような若い方が、過去の戦争に目を向けるのは大変良いことであると思います。もちろん私も、私の父母さえも戦争を知らない世代になりました。亡くなった祖母が口伝えで教えてくれた戦中の苦しさも今では聞くことができません。過去のことを知り、未来に活かす。自主的にそれを行わなければ知ることが出来ないことはたくさんあります。

  • 戦争をやるのは大変なのだ。考えさせられる文です。
    私にとって大切な一行になりました。
    グアムの方々に親切にして頂いて嬉しいですね。
    今日もブログありがとうございます。
    勉強になりました。

  • 70数年前、私達の先輩である日本人が祖国の為に命を捧げて戦ったことに感謝申し上げたいと改めて感じました。

  • 内容が戦争と重い感じだったので読もうか迷いましたがスーツさんのような自分の意見をしっかり持っている方のブログを読むことが出来、知識がまた1つ増えたと思っています。ありがとうございました。

  • 太平洋戦争で多くの尊い人命が悲惨な形で失われた大きな原因の一つに軍上層部の酷い「官僚主義」があった。
    形は変わったものの、現代でも「官僚主義」(特に、エリートが考える事・行う事に間違いは無い/誤りを認め責任を取りたくないという考え方の部分)で修正すべき舵取りを修正できていない問題が沢山ある。
    人は間違えるものという当たり前の事を前提とし、だからこそ誤った時はそれを認め善処する事が大切なのだと歴史から学ばなければならない。

  • 朝からスーツさんの記事を読んで涙が出ました

    スーツさんがもっともっと有名になり
    平和な世界を考える人が増えることを期待しています!

    今日のNHKたのしみにしています!

  • 戦争がなくならない理由の一つは戦争はめちゃ儲かるからだよ。
    考えてもごらんなさい。家も店も家財道具もおもちゃも商品も鉄道も、なんもかも爆撃で失うことができる。
    民衆を戦争にあおった人たちが買い戻してくれますか?くれませんね?でも再建は必要。また民衆は働いて個々になくしたものを取り戻して行くわけです。売ってる方はあんまり変わらないでしょ、多分。
    ブルジョワのスーツくんにはぜひその目線でも戦争を語ってほしい。

  • 大変勉強になりました。
    記事を書いてくださったりんごちゃんありがとうございます
    グアム島の戦いは以前映像で見たことがありましたが、やはり現実に見に行ってみたいとスーツさんをみてて思いました(^^)

  • 「日本軍らしい最期」北のアッツ島から南島迄、その通り。本当にむごい事なので、もう2度としないし、悪いのは国で
    あって、欧米の様に降伏、捕虜に進むべきだった。

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